もう二度と会わない先輩へ

喧嘩別れしたわけではないけれど、何となくもう二度と会うことはない親しかった人というのが誰の人生にも一人や二人はいると思う。

連絡不精な私の人生において、親しかったのにもう二度と会えない人の数は少なくない。
それって本当に親しかったの?と問われると非常に厳しいお気持ちになってしまうので控えていただきたい。

小学校の頃の大親友、バイト先で仲良かった先輩、憧れていた男の子、部活の同期、ネットを介して知り合った友達。
本気で会おうと思えばいくらでも行動は起こせるだろうし、連絡も取るだけ取ればいいんだろうけど、人間関係に対する熱意のなさが現状を招いているので勿論そんなことはするはずもなく…。
こうしてたまに思い出してちょっぴりおセンチになって終わりが関の山だ。そしてまた2〜3年は思い出さなくなる。

そんな私でも、未練がましく記憶の片隅に住まわせ続けてる人がいる。
今はもうどこで何をしてるのか全く分からない、そんな先輩の話をしたいと思う。

先輩は同じ高校の三年生だった。
同じクラスの男の子に半ば強引に入部させられた陸上部に所属していたが面識はなく、たまに練習を覗きに来ていた他の三年の先輩曰く大層クセの強い人見知りとのこと。

入部3日目でマネージャー業に嫌気がさし、空虚なアクエリ製造マシーンと化していた私はそんな先輩に関する話を特に関心もなく聞き流していた。が、しかし。
先輩のデコログをいわゆる部活の共同ホムペ(笑)から発見した。詳細不明な大クセ先輩のブログは他の先輩のテンションとは明らかに異なり、リズミカルな陰鬱さとほどほどのキモさと摩訶不思議な世界観を醸す文章に私は一瞬で虜になった。
先輩は面白根暗の人だった。

その日から部活に行く意味を見出した。
この面白根暗と話してみたい。その欲求はいつしか過剰に膨れ上がり、連日遊びに来る三年生にあの面白根暗を連れてきてくれと懇願した。
面白根暗に会いたい一心で、人見知りのくせに色んな先輩に話しかけ、遊びにも行った。全ては面白根暗召喚のためだった。
しかし受験生であり面白根暗でもあった先輩は、既に引退した部活になど一切顔を出さなかった。

結局先輩に会えたのは陸上部全く関係のない、生徒会活動で知り合った先輩(以下A)の紹介によってだった。
先輩のブログのYonda!(当時のデコログのいいね機能)からAを見つけ出した私は早速Aに紹介を頼んだ。
当時培ったこのネトスト癖が、のちに私の恋愛をより面倒くさく猜疑心と争いに満ち溢れたものにすることをこの時はまだ知らない。

かくして、Aを触媒に先輩を召喚することに私は成功したのである。
高校の近くのカラオケボックスに現れた先輩は、もっと厭世的かと思ったが割と社交的だった。
実際に話した先輩は、やっぱり詳細不明で生活や趣向や人間性がよく見えない。当時の私は、「ははん、ミステリアスが魅力的ってこういうことを言うのね?」とか思ったりした。
先輩はカラオケとぷよぷよ伊坂幸太郎とサンタさんが大好きだった。

その後、ベタに部長と付き合っていた私はなんやなんやでだるくなり陸上部を一年で辞めた。
部長とは自然消滅した。高校生の部内恋愛なんてそんなもんである。
私は陸上部を辞め、先輩は高校を卒業したが先輩の浪人生活突入により私たちの交流は存外長く続いた。
私たちは毎月のようにカラオケに行き、開店からフリータイムの終わりまで歌い続けた。カラオケを出たらそのまま解散した。たまに先輩の家にお邪魔して、64のぷよぷよスマブラでボコボコにされた。ギターや数学を教わった。どれも上達はしなかった。

ある秋、文化祭の打ち上げでうっかり終電を逃した私は歩いて家に帰ることになった。
夜道を4時間弱歩き続けるのはあまりに不安で退屈だったので先輩にメールしてくだらない話に付き合わせた。どんな話をしていたか忘れてしまったけれど、先輩らしくない内容が最後の方に書かれていた。「○○さんがどう思ってようが、俺はずっと〇〇さんと」メールを読んでいる途中で携帯の電池が切れてしまった。

夜道で一人通信手段を失った私は怖くなり、見知った風景になるまでひたすら走った。
そのはずみで携帯を落としてしまったらしく、電源も入っていないそれを探す手段はなく、当時のガラケーにメールのクラウドバックアップなどあるはずもない。
後日、先輩に問い合わせたが読ませてくれず、結局あのメールは読めずじまいになってしまった。

その後、お互い大学生に進学し会う機会は少なくなり、ある時先輩がドタキャンをして、虫の居所が悪かった私は悪態をつきそこからほぼ交流は断絶状態になった。
しかし当時付き合っていた彼氏の家が先輩の実家の近くだったため、私はたびたび先輩を思い出した。
三年生の冬、ふと思い立って先輩に連絡をしてみた。お互い喧嘩別れっぽくなってしまっていたことにモヤモヤしていたので、居酒屋で簡単に仕切り直すことになった。もう先輩とカラオケに行くことはなかった。

先輩は四年生だったので就職が決まっていた。
当時のこと、学校のこと、就職のこと、交際相手のこと。色んな話をした。先輩は関東にいってしまうらしいこと。懐かしかった。もう何を話したか全く覚えていない。でも先輩と話せて嬉しかった。
ほどほどの時間で引き上げ、私はそのまま当時の彼氏の家へ戻った。その後先輩とは一度も連絡を取っていない。

あのメールを全部読んでいたら、何か変わっていたんだろうか。例えば今でもたまに近況報告したりする仲だっただろうか。それとも恋愛に発展してもっとつまらない終わりを迎えていただろうか。私たちの間に恋愛感情は生まれ得なかったとは思うけれども。それでも。
先輩は私のことをどう思っていたのだろう、友達だと思ってくれていたのだろうか。どんな気持ちで相手をしてくれていたのだろう。

その後、鬱の発症をきっかけに男性とのコミュニケーションが上手くいかなくなり今日に至る私は、時々先輩と遊んだことを思い出す。
恋も愛も性も介在せず、ただ男の子と二人で楽しく遊べたのはあれがきっと最後だろう。私が先輩に触れたのは自転車に二人乗りした時くらいだった。

私の先輩に対する感情はなんだろう、なんだったのだろう。憧憬なのか、友情なのか、それともまさか恋慕だったのか。

私は今年で26歳になる、先輩は28歳だ。いまさら会って何することもないが、二度と会えない人として先輩のことを思い出すとどうしようもない喪失感に襲われる。また会いたい。でも、楽しかった時間は綺麗なまま保存しておきたい。やはり、今更会ってもどうしようもない。未練があるとするならば、先輩はとても綺麗な名前だったのに一度も名前で呼ばなかったこと。私は最後まで照れて苗字に先輩呼びだった。

社会人になった私は、また強く惹かれる文章を書く人間を見つけていた。先輩以来のことだ。
彼は同期入社したコピーライターだった。

彼と、学生の頃好きだった作家について話をした。
彼は伊坂幸太郎が好きだと言った。

婚約者になった彼の部屋で、サブスク解禁されたばかりの米津玄師の楽曲の中に先輩がよく歌っていたWORLD'S END UMBRELLAを見つけて書きたくなった、今はもうどこで何をしているのか全く分からない、二度と会うことのない先輩の話。