たまには映画が観たい

たまにはっていうか、定期的に観ているはずなんだけどね。映画。

 

8月も5本は観たんじゃないだろうか。

ジブリfate、コンフィデンスマンは8月だったかな、金曜ロードショーのコクリコ坂はかなり良かった。ああいう知的で"男の子"って感じの子に惹かれたものである。

 

学生の頃は近所に映画館が二つ、梅田まで出ればTOHO、ステーションシネマ、ブルク7、テアトルとよりどりみどりだったので毎週のように映画館に通っていた。観たい映画も無数にあった。

それなのにいざ今いくらでも家にいられることになり、彼の契約しているものと合わせたら動画配信のサブスクのほとんどの視聴権を持っている状況になると特に何も観たくなくなってしまった。勿体ない。

毎日お互いの妥協案のアニメかバラエティを観ている。鬱病になって以降バラエティは(程度の差はあれど)観られなくなっていたので、まあ、回復してきたんだな、と思いつつやっぱり好んでは観ない。

惰性で観るアニメは悪くはないけど、なんだか作品と時間を消費するだけで頭の中がもやもやしてくる。スマホを置いて、2時間集中して楽しみにしていた映画が観たい。

 

そう思ってついに、ミーハーも一通り観終えたであろうハッピー・デス・デイを遅まきながら観た。

観よう観ようと思いつつずっと観てなかった映画。面白かった。嬉しかった。

 

最近、自分で選んだ漫画の打率が異様に低かった。昔はふらっと紀伊国屋に行って、ぱっぱっと直感で選んで買った漫画はだいたい面白く、自分好みの漫画のチョイスに関しては自分の直感へ絶大な信頼を置いていた。

なのに、最近の打率の低さは恐ろしかった。買ったそばから古本市場。作者への経緯で気になった本は必ず単行本一巻購入して継続するか決めるルールを自分に貸しているのだが、もう何冊売り払ったか分からない。

感性が腐ったのか、直感が鈍ったのか、とにかく落ち込んだ。アップデートを怠ったツケなのか。

創作物に救いを求めていたから、ある程度外付けの救いを必要としなくなった今センサーが鈍ったのかもしれない。情緒の安定は感性の毒になりうるのか。

 

などなど、じわじわと焦燥に駆られていたところだったので自分が選んだものが面白いという体験は、シンプルに嬉しかった。

そりゃタイタニック選んで面白い、感動できた。は当たり前なので、面白ことが確約されているものを観て「私は間違ってなかった!」と喜ぶのは相当なアホの所業ではあるのだけれど…

まあ、それはそれである。今は失敗しなかったことの方が大事。

 

これをきっかけに重くなっていた腰を上げて、機械的に放り込み続けたfilmarksのリストをどんどん消化していこうかな。

惰性で映像を流し込み続けるのではなく、今はただ昔のように望んだものを貪り続けたい。