東京

東京大阪間で遠距離恋愛をしていた。

 

2020年、感染症が猛威を払いはじめた頃、IT系の弊社はいち早く在宅勤務でのリモートワークを取り入れて長年家族と折り合いの悪かった私はこれ幸いと言わんばかりに目にまとまらぬ速さで東京の彼の家へと逃げおおせた。

それからすぐに東京はロックダウン、会社からも県外への移動は禁止されて、婚約後半年経ってようやく同棲生活が始まった。

 

彼は会社の同僚で、同期入社で、年次も浅いためお互い仕事を辞める予定もなく、リモートワークの導入がなければ婚約して二年経っても籍を入れてない可能性さえ考えられる状況だった。

停滞していた関係が一気に前進し、結婚はタイミングとはこういうことかと実感した。

 

東京に来て数か月経ってから、二ヶ月ほど声が出なくなった。幸福に暮らしているつもりでいた私の体重は、鬱を患っていた時のそれになっていた。感染症の流行後に発生した関連業務で混乱した国民の悪意に晒され続ける仕事は耐え難く、その他のどうにもならない諸々の要因が口論中の彼の一言をトリガーに暴発した結果だった。

 

全ての責任を東京という街に押し付け、とにかく帰りたかった。一時帰阪した際に久々に立ち寄った阪急百貨店や万博の太陽の塔で少し泣いた。地元から離れて暮らす選択肢なんか大学生の頃まで本気でなかった。便利である程度なんでもある街。大阪の北の方。万博のあった街。太陽の塔がある街。川端康成の町。気取った嫌味な気質だと言われる街。ミナミに嫌味と言われようがなんぼのもんじゃいと卒論は北摂のことを書いた。東京への憧れなんか生来微塵もなかったが故に、苦しみばかり募る東京生活を一刻も早く終わらせたくなった。

 

その矢先、彼が会社を辞めることになった。家業を継ぐことになったのが理由だった。彼の地元は所謂地方である。二年後には東京でも大阪でもなくそこで暮らす。勿論私に与えられた選択の余地や話し合う隙はなかった。私は生まれてこの方極度な田舎嫌いであったが、一生地方で暮らすことが私の知らない間に決まっていた。

 

オンラインで上長と退職面談をする彼を隣で見ていた。「自分で選んだことですから」と彼は笑顔で話していた。私は選んでいない。嫌だと言うことを許されていない。自分の意思で別れを切り出さないことを選んだものの、日に日に澱が溜まる。

彼を愛していること、彼は婚姻相手として最善の選択であること、彼とこれからも一緒にいたいこと…と、これは別の問題ではないのだろうか…。

私のことを案じて別居婚も提案された。彼のような知性と優しさを備えた人間が育つ環境なら地元に戻るよりも良いのかもしれないとも思った。

今まで当然に享受してきた水準の利便性を捨て、バックグラウンドの全くない土地でこれから一生暮らすことに未だに前向きになれずにいる。

 

たった三ヶ月ちょっとのリモート期間だけだと思い、「二度と戻ってくるな!」の罵声を背に受け実家を飛び出したあの日。本当に二度と大阪で暮らせなくなるなんて夢にも思わなかった。

いつかこの気持ちに整理がつく日は来るんだろうか。