それは自己満足というやつなのでは

三ヶ月ほど前から休職した。

抗うつ剤を服用し始めてから少しずつ生活のペースを取り戻してきてはいるものの、最近はその抗うつ剤を飲むことに抵抗を感じている。

休職してしばらくの間は職場に対するありとあらゆるストレスが脳を占めていたが、そのうちだんだん昔のことを思い出すようになり自分が踏みにじってしまった気持ちや、傷つけてしまった言葉、潰してしまった可能性ばかりに気持ちが向かうようになった。

それは最悪の別れ方をした昔の恋人だったり、直近で好意を向けてくれていた人だったり、自分の母親だったり様々なのだけれど、誰を思い出しても胃の奥がズンと重く、心臓が異様に痛くなり、取り返しのつかないことをしてしまった。死んで詫びたい。という気持ちになった。

それがここ最近、抗うつ剤を飲み始めてからは誰を思い出しても以前のような辛さがないのだ。

早く心身健康になって働きたい、職場に戻らずともきちんと家事ができるようになって普通の生活を送りたいとは常々思っているものの人を傷付けた事実や自罰的な痛みまで風化していることにかなりの抵抗感がある。人の心や人生に少なからず傷を付けて、のうのうと幸せを享受してもよいものだろうか。しかし、もう関わらない人間への罪悪感に一生囚われて一番近くにいる大切な人に著しく負担をかけ続けるのもおかしな話じゃなかろうか。自己矛盾についてずっとぐるぐる考えている。きっともうずっと前から自分が手放しに幸せになることに対して抵抗があるんだろう。

自分が幸せになる最適解として、自分の意思で夫との結婚を選んだはずなのにあまりにも矛盾しているなと思う。